京都の手芸家、キルト作家 Sayoko のブログにお越し頂きありがとうございます。
最近、「どうしたら手芸家になれますか ? 林さんはどうして手芸家になることが出来たのですか ? 」という質問を受けました。なかなか答えが難しいですね。
幼い頃からの夢が、【なんでも縫える人になりたい、自分の作ったものを人に見せて喜んでもらえるような人になりたい】というものでした。
10代の頃、自分のなりたい職業が「手芸家」だと分かった時、どうしたら手芸家になれるのだろうと思っていました。
いろいろな出来事があり(町家キルト物語にまとめています)、1998年に町家キルトを創りだして、2000年から教室を開始しましたが、その頃は自分で「手芸家」とか、「キルト作家」と名乗る自信はありませんでした。
個展を重ね、作品を創り続けているうちに、私の作品のファンが増え、個展来場者数が毎回増えていきました。取材を受けた新聞記者さんやテレビ局の方から手芸家、キルト作家と紹介されるようになりました。
※2015年西利個展
※2017年美山展
最近ようやく、自分でも手芸家・キルト作家と呼ばれる事や、自分で手芸家と名乗ることに自信のようなものがついてきました。作品を縫い始めて20年かかっての事です。
手芸家とは、なろうと思ってなれるものでもなく、1点2点創ったからと言って手芸家と呼んでもらえることもなく、創り上げて来た作品群とその創作人生をまとめて、周りから「手芸家」と認めて呼んで頂けるのだと実感しています。
私は独学ですので、師匠やお手本になる先輩などがいませんでしたから、作品制作も作品の発表の仕方も全て手探りでやってきました。以前、あるキルト雑誌の編集長さんから「手芸団体に属さずに個人活動で作品を発表している林さんは稀です。」と言われました。一匹狼的な活動をするには相当な覚悟と努力と辛抱が必要でした。
「手芸家とは….」と教えて頂く方も私にはいませんでしたが、私が考える(目指す)手芸家をまとめてみると
・一針一目が自己表現であり、全ての工程を自分の手で行い、他人の手が一切入らない作品を縫い続ける事。
・作品を間近で見た人が針目一つを見て、この一針は、この作家が縫った一針なんだと感動を与えるような作品である事。
・人が真似のできないオリジナル作品を縫い続けられる事。
・どんなタイプの作品を縫っても、作家の世界観が出ている事。
・人の記憶に残る作品である事。
・作品の前に立ち止まらせることの出来る作品かどうか。
これらの事は、ずっと初期の頃から心に決めて、私の作品には縫製スタッフは一切使わず、完成までの全ての工程を私一人で行なってきました。私は一針でも他人の針目が入った作品を自分の作品だという事はできないのです。
これらは、私のこだわりだけであって、他の方もそうでなければならないという事ではありません。あくまでも私だけの頑固なこだわりです。これからも手芸家林サヨコとしての、これらのこだわりは持ち続けていきたいと思っています。
どうしたら手芸家になれますか ? という質問の答えになったかどうかわかりませんが、私の場合はという事で書かせていただきました。何かの参考になれば幸いです。