私の家は専業農家だった。舅姑、小姑の大勢いる農家の長男の父のところに、見合いで嫁に来た母は大変苦労し、1年のほとんどを、朝から日暮れまで田畑で働いていた。
家族で出かける事もほとんど無かったし、若い頃の母がおしゃれしたり、楽しそうにしている記憶はあまり無い。
両親が畑に行っている間、祖父母と過ごしていたが、私は手のかからない子供で、学校から帰るといつもおとなしく居間で一人、手芸をしながら母の帰りを待っていた。
夕方、畑から帰ってきた車の音が聞こえると、私はその日作った手芸作品を持って、玄関に入ってくる母を待ち構えた。
母が入ってくるなり、
「お母ちゃん、見て!見て!さよ、今日こんなん作ったんやで!」と母に見せた。
「へぇ〜、よう出来たなぁ!うまいこと作ったなぁ!」と、母は疲れているにもかかわらず、作ったものを手に取り、あっちこっちひっくり返し、丁寧に見てくれて、いつも嬉しそうに笑ってくれた。
子供ながらに、祖父母、父、叔母との関係で、母が苦労しているのを感じていたので、私は母を喜ばせたかった。
自分の作ったものを褒めてくれて、笑ってくれるのが何より嬉しかった。
3年前(2012)母が亡くなるまで、私は自分の作品をいつも母に1番最初に見せていた。母が喜ぶ顔、それが私の創作のエネルギーだった。