京都のキルト作家、手芸家 サヨコ のブログにお越しいただきありがとうございます。
最近、キルト雑誌編集部から来た連絡をきっかけに、私がキルト作家として決められた道を歩かず、自分の道を選んだ時のことを思い出したので、そのことをブログに書いておこうと思いました。
個展やインスタで私の作品をはじめて知った方々が「東京ドームのキルト展になぜ出さないのですか?」とよく質問されます。その答えも分かって頂きたいと思います。
長文ですが、お付き合いください。
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ブログを始めて10年、インスタグラムを始めて4年になりますが、ここ10年の急速なSNSの普及のおかげで、私のように大規模なキルト展覧会に出展しない地方の名もなき作家でも、多くの人に作品を知ってもらえるようになりました。
私は2000年から創作活動を始めました。創作活動初期の頃から、私の進む道が、既存の日本の手芸(キルト)界には合わないと実感する出来事が度々ありました。そんな事を感じ始めていた2004年に、大手手芸カルチャー学園から教室を持ってほしいとお誘いがありました。
是非、「町家キルト」を学園で指導して欲しいというお願いでした。
それは本来なら大変名誉なことで、それを受けることによって、林サヨコが日本のキルト作家の一員として広く認めていただく証だったのかもしれません。
講師のお話をいただく以前に、東京ドームで開催される第1回日本キルト大賞に「送り火」を制作し応募しましたが落選。
その後、キルト日本展にも続いて落選していました。
この作品が、何十点も入選できる最後の1枚にも選ばれないんだ….と当時はとても悲しかったです。
どのコンテストに出しても入選すらできないそんな状態で、そしてまだまだ作品数も少なく作風が完成されていない早い時期に、大手の手芸カルチャー学園の講師に迎えられ「その技法を学園で教えてください」と言われることに不安を感じ、講師のお話は辞退しました。
2005年以降は、どこのキルトコンテストにも応募しないことを決めて、日本の手芸界では珍しい個人活動のキルト作家の道を進むことにしました。
コンテスト応募目的に作品を制作するのはやめよう、自分の世界を創って個展で直接お客様にご覧いただこうと決めました。
その決断が、「林サヨコの創作キルト、町家キルト」を全国の手芸愛好家の皆様に周知していただくことが相当時間のかかる、不可能に近い難しい道だという事は分かっていました。
その事を覚悟して京都でコツコツと作品を創り続け、個展で発表するスタンスをとってきました。
自分しか縫うことのできない作品を自由に創っていきたい。
頭にイメージしているものを1枚でも多く形に表したい。
お金儲けとか、有名になりたいとか、教室(生徒)を増やしたいなどという野望など何もなく、ただ好きな手芸で生きていきたい、自分の才能を開花したい、ただそれだけでした。
大手カルチャー学園講師の道を選び、日本キルト界の一員となり活動していたら、私の作風は今とは変わっていたと思います。
そして現在私を支えてくださっている方々と出会う機会は無かっただろうし、2005年以降に創った「清水寺」「タージマハル」「桜並木」「樹木シリーズ」「伏見縫酒蔵風景」「美山かやぶき物語」は全てこの世に存在しなかったと思います。
作品詳細はギャラリーページをご覧ください。
この道で正解だったと思います。
後悔は全くありません。
理解してくださる生徒さん達や周りの方々の応援で、大変楽しい充実した創作活動が出来ていて感謝と喜びしかありません。
先日、日にちを前後して、2社のキルト雑誌編集部から、作品掲載依頼がありました。
2社とも、私のインスタグラムの作品をご覧になっての連絡です。
A社とは活動初期の2001年~2004年頃までは、取材掲載を何度かしていただきましたが、その後の依頼は無くなり、16年ぶりの突然の電話連絡でした。
B社の編集長さんとは2011年に知り合いました。Twitterを通してメッセージ連絡がきたのだったと思います。
当時その編集長さんが所属しておられたキルト雑誌(パッチワーク通信)に町家キルトの特集を掲載していただき、東京まで取材を受けに行きました。
昨年、その時の編集長さんが関わる横浜のキルト展覧会に作品展示依頼をいただきました。6月の展覧会に向けて準備を進めてくださっていたですが、コロナでイベントが中止になっていたのです。
今回はその編集長が現在関わっておられるキルト雑誌の、12月号に作家紹介としての掲載依頼でした。
A社とは、私と会社との希望が合わず、辞退という事になり、B社は、取材希望時期が秋の個展の準備時期と重なるため、作品貸し出しが出来ず、いったん延期(中止)にしていただきました。
普通なら喜んで何が何でも都合をつけて掲載をお願いすべき有難いお話なんでしょうが、私は本当に職人肌と言いますか、頑固なところがあります。
世渡り下手の世間知らずといわれる時もあるのですが、私はそれでいいと思っています。
私の作品達は私の子供のような存在です。
大切に大切に創ってきたし、その作品達も私の挫折や悔しい思い、そして努力をずっと見てくれています。
私の作品と私自身の良さが、ちゃんと見る人に伝わるように、見せ方を間違わないようにしていこうと思うのです。
私のこだわりや融通の利かない生真面目さが、時には誤解を生むこともあり、人知れず落ち込むこともありますが(笑)、私の個展活動をずっと見続けてくださっているファンの方々や、教室の生徒さんなら理解してくださると思います。
インスタでは、関西以外に住む方や、海外の方も「生で作品を見たい!」とメッセージを頂きます。
私一人の力では、なかなか難しいですが、私がおばぁちゃんになって死ぬまでに(笑)、いつか全国の方に作品を生で見て頂ける日が来ることを願っています。
自分の身の丈に合った生活をしながら、支えてくださる方々への感謝を忘れることなく、初心を忘れず決して奢ることなく謙虚でいたいと思います。
それでも作品制作への情熱と、自分の道を切り開きながら頑張ってきた創作のプライドだけは捨てることなく、これからも自分の選んだ道を進んでいきます。